今日は突然の歴史ネタです。
英雄についての考察です。英雄に必要な条件として、のちに名作が作られる必要があるのではないかと。
卑弥呼の魏志倭人伝、龍馬が行く、国取り物語、三国志演義、シェイクスピアのジュリアスシーザー。
古今東西、必ずといっていいほどに英雄を英雄たらしめる名作が作られてきました。
足利尊氏が不人気なのも名作がないせいかもしれません。源義経が人気なのは義経記のおかげか。
とにもかくにも、成し遂げた事実以外の人柄などの部分は常に脚色されて私たちの前に現れる英雄像になるわけです。
時の為政者もこの事実にはとっくに気づいていて、豊臣秀吉の太閤記は非常に成功した事例となっています。
さて、私たちはこのことから何を学んだらいいのでしょう。1つとても大事なことがあります。
それは、我々は誰かのフィルターを通じてしか英雄をみていないということです。